花
濃密な霧が、梢を抱いて覆い隠している。
ひんやりした水滴が、私のむき出しの腕にしっとり置いて、鼻の穴にも耳の穴にも冷たい空気が満ちてゆく。
それでも汗をかいていた。
ようやっとそれが入るくらいの穴を、枯れた林の中に掘り終えて、私は重い金属のシャベルを置く。
振り向くと彼女は笑っていた。
「お花が足りないわ」
ゆったりとそこに寝そべって、彼女は確かに私より一回りも年を取っているはずなのに、まるでお伽噺の美しいお姫様のようだ。
私は黙々と、彼女の周りに花を詰めてやった。
寒くてよかった、と思う。今は微かに鼻をくすぐるだけだが、暖かかったらきっと息もできないくらい匂うだろう。
彼女はあふれるほどの花に囲まれて、まるで溺れていくように、うっとりと目を閉じる。
「百合の香りがするわね」
そうすると彼女は目が見えないのか。
彼女に百合は似合わない。白が似合わない。
今でこそまるで眠っているように静かだが、あの頃は真っ赤な薔薇のような人だった、私はしょっちゅうそれで厭な思いをして、だから艶かしい彼女は嫌いだった。
けれど熟した薔薇は自分の強すぎる芳香に耐えられなくて、その花弁を落として、徐々に湿った土に腐ってゆく。
何故か彼女の肌は透き通るように白い。
「あたしは土くれになるのね」
彼女の長い黒い睫毛に、もうほとんど雨のようになっている霧が落ちていて、私はその美しさに息を呑んだ。
肌にも雫がついていて、私は布で拭ってやる。
白粉がべっとりとこびりつく。
「あたしは土くれになるのね。
土くれは花にも水にもなれるわね。
花になったら風にもなれるわね。
水になったら雪にもなれるわね。
そしたら、ねぇ、あたしとあなたはずっと一緒よ」
戯言だ。
私は彼女と花がみっちり詰まった匣をずるりと曳き摺った。
土くれは花にはなれない。
土くれは水にはなれない。
土くれは風にはなれない。
土くれは雪にはなれない。
私達はもう会わない。
「ずぅっとたくさんの花に溺れるように死にたいと思っていたの。
こんな風に匂い立つような中で死にたかったの。
やっと叶えてくれるのね。嬉しいわ」
匣に蓋を被せる。
彼女と花は見えなくなる。
それは閉じ込められて、暗い林の中は私と霧とだけになる。
「忘れないでね。あたしはずっとずっと一緒だからね。
寂しがらないでね。もうどこにも行かないから」
どすんとその『話す匣』を穴の中に入れると、後はもう本当に簡単で、いつまでもうふふふふと笑う声がしたけれど、それをも塗り込めるように土を載せた。
「うふふふふ」
「うふふ、アハ、アハ」
「アハハハハハッ」
「アハ……」
土が完全に平らになるまで、ぺたぺたと地面をたたく。
そうしてもう彼女が何処にいるかサッパリ分からなくなると、私は立ち上がって、汗を拭いながら、穴が開くほど永い永い溜め息を吐いた。
ああ、
春が来た。
(了)
(話し手は女です)
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