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 逃亡者は大抵が心の整理をつけられない。どんなに苦しい思いをしても発狂できなかった人々が、つまり中途半端に苦しんだ人々が、とうとう罪悪を犯して牢獄に入り、あんな研究所に送られてくるのだ。とても悲しいことだ。例え人殺しであっても、何か理由があって犯した殺人のほうが、衝動的に犯したスリよりもずっと救いようがある。ただ「つまらないから」「スリルが欲しかったから」といった理由から犯した万引きと、生きるためにどうしても必要だった殺人とだったら、私がもし判事なら、きっと後者の罪を軽くするだろう。けれどどんなに罰が軽かろうと、犯罪者は死ぬまで罪悪感に苛まれ、何度も何度も理屈で自分の正義を捏造しようとするのに失敗し、とうとう頭がおかしくなってしまうのである。罪悪が発覚しようと罰されなかろうと、それは罪人の良心によって罰せられるのだ。生きている間に必ず、死刑にでもならなければ絶対に、彼らはそういう台風のような良心の責め苦に苛まれるのである。
いままでで言えばバイロンなどがそうだ。しかし彼は最終的にユーリを蔭から助けることに自らの生甲斐を見出した。そうすることで、彼は狂気の淵にはまり込むことを回避することができた。彼は幸運だったのだ。彼は最後まで苦しむ必要がなかった。
これから出すのはバイロンよりももっといい例だ。私もユーリも典型的な駄目人間だった。しかしユーリは自分を叩き直すことができた。私は―――ご覧のとおりだ。
 ユーリはクローンを作りたいと言い出した。
突然誰かの紅い毛髪を持ってきて(フレデリック・ショパンもジョルジュ・サンドの毛髪を栞に使っていたらしいが)、自分の記憶に従って一緒に女性を作ろうと言い出したのだ。一瞬ストーカー歴でもあるのかと思ったが、すぐに彼の許婚のことに思い当たった。彼はやっぱり彼女の影から逃げ切れていなかったのだ。オフィーリアのように、彼女は亡霊となってユーリを縛り続ける。死んでしまった影は手では振り払うことができない。女が死んで亡霊となって男の良心と罪悪感の間に居座ることは、生きながら男に縋りつくよりもずっと頭の良いやり方である。私は確かに生きていた母親を捨てたが、死んだ母親のことは中々振り切れないし、私が死ぬまで振り切ることができないだろう。
例え長い時間があっても、きっと私は母を振り切れないだろう。
 人のことは言えないくせに、私はユーリの話を断ろうと思った。もう死んだ愛する女性を生き返らせることは彼にとって良くないことだとわかっていたし、そういうことは忘れてしまうのが一番良いと、身をもって知っていたからだ。苦しんで苦しんで苦しみぬくよりは、いっそ罪悪感から逃れるために全てを忘れてしまったほうが楽になれることもある。裏切りと言う事実を消し去ることはできないが、それを綺麗サッパリ忘れてしまっても誰にも咎められない。以前忘却と言うのは恐ろしいものだといったかもしれないが、時と場合によっては薬にもなるのだ。人間はまず忘却を飼い馴らすべきだと思う。
しかし、私は罪を忘れる事が十中八九不可能であることも十分知っていた。
 私は主に対象の脳をいじくって基本的な性格、精神を作り上げる仕事をしていた。彼が対象に命を吹き込み、私が魂を吹き込むのだ。私たちはある意味神だった。といっても、私は表立って細工をすることはできず、ただひたすら紙面で図を作り、それをユーリに押し付けるというのが常だったのだが。あのころは本当に楽しかった。
 こういう風にベッドに横たわっていると良く思うことがある。
いったい私の一生は何のためにあったのだろう。そんな下らないことを思うことがある。
人一人の人生なんてネズミにすら影響を与えないことくらい、気の遠くなるほど長かった暴虐の中でわかっていたつもりだ。私たちは個人の意思に関係なく世界から排除され、死ぬのが怖いから生き続け、ある日突然神に殺される。ずっとそう思っていたし、今でもそうだと思っている。
それでも時々思うのだ。「私が生きていたのは何のため?」と。
どうせ答えなんてない。果てしない堂々巡りの中で命を落とすのがいいところだ。私はいずれ世界から消え去り、忘れ去られるだろう。事実私がこの世に残せたものといえば、とうの昔に廃盤になった時代遅れのレコードくらいだった。もっと他の人たちなんてそれすら残せないし、私は恵まれていると知っているけれど、それでも私は悲しくなる。私がどんなに努力して最先端の理論を打ち立てても、世間は我々を非難するだけで決して私を褒めてくれるなんてことはしない。なまじ私の良心の根幹は聖書でできているから、自分がどれだけ大きな罪を犯しているのかが身に沁みて分かるだけに辛い。ならどうしてそんな道を選んだか?言うまでもない。往々にして人を堕落さしめた好奇心が、この私にも深く根付いていたからである。
 私は結局そのクローンを造る話を断った。私はなぜかそうするべきだと思ったのだ。ユーリが真っ当に生きていくにはその女性が必要だった、と感じてはいた。しかし、決してそれがユーリにとってよい影響を及ぼすとは思えなかったのだ。例えるなら、運動するからには乳酸がたまることは避けられないが、運動しなければ体調不良で死んでしまうといったような事柄である。ユーリにとっては、そのクローンは毒であり栄養だったのである。私がやったことは残酷だったかもしれないが、私は彼に毒を与えない代わりに栄養も与えないことを選んだ。ユーリに「彼女」を与えたらユーリはまっすぐに狂気の道を歩んでいくだろう。ユーリは自分の犯した罪悪を、彼女を「生き返らせる」ことによって償おうとしていたが、作り出されるクローンは決して彼女自身では無いのだ。死んだ人間は生き返らない。戻ってもこない。どんなに完璧なクローンを作ろうと、それは「彼女」では無いのである。ユーリは彼女が完璧なユーリの婚約者でないことを思い知ったら、きっとそれを受け止めることができずに自分で自分の舌を噛んで死んでしまうだろう。ユーリは成熟しているように見えて子供っぽいところがある。本人には自覚がないのが怖いところだ。悪いところは気がついているほうがいい。更正しようと思うこともあるからだ。更正することが不可能でも、そういう夢を見ることがあるからだ。私は夢見たが、彼はそんなことは思いつきすらしなかっただろう。とにかく私は彼に彼女を与えてはいけないと思ったのだ・・・・・・なぜ利己主義者のカースティン氏がそんなにユーリを助けたがったのかは分からない。もしかしたらユーリは私の知っている誰かに似ていたのかもしれない。そう、私が大昔に失ってしまった誰かに・・・・・・。
心の傷は完全に治ることなんてまずない。私は気のふれた研究者を何人も見てきた。私自身何らかの精神病を患っていた可能性が高い。あのころは気づかなかったが、今思い返すと、とてもじゃないがあの頃の私と友人になりたいとは思えないのだ。ユーリは自閉症に近かった。全然他人と何かを共有するという心を持っていなかった。治らない傷を持って「いかれて」しまった連中の中にいることを強いられれば、誰でも頭がおかしくなってしまうと思う。
 ユーリは私の自傷癖を口汚く罵ったことがある。何故自傷に走ったのかは自分でもよく思い出せない。私の身体は自分で痛めつけるまでもなくぼろぼろだったのだ。義父は極限まで私の身体をポンコツにしてくれた。だが、あのとき何故ユーリにそんなことを言われなくてはいけないのか理不尽に思ったことだけは覚えている。
なぜならユーリ自身の体も、他でもない彼自身の手によってずたずたにされていたからである。















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