19
 先ほどナイジェルが恐怖の面持ちで私のところに来た。何かを訴えようとしていた。
彼によると、夜中に私は夢遊病者か何かのように部屋の中をうろつき回って、まるで捕えられた野生の蝙蝠みたいに喚き散らすらしい。壁をかきむしるような音がしたり、突然叫び声が聞こえてきたり、窓をばしばしと叩く音がしたりするという。突然「母さん!」と叫び、聖書を求めて彷徨い、何かから逃げるように駆け回るとか。全部心当たりがありすぎて怖い話だ。私は眠りについていると思い込んでいる間に錯乱しているらしい。ただでさえ痛みで気が遠くなりそうなのに。深い眠りに落ちているはずの時間に、私は過去の記憶にさいなまれ、過去の犠牲者の亡霊に追い掛け回されているようである。
 ある女性の話をしよう。
その女性はユーリが突然拾ってきた、年の頃18歳ほどの赤毛の「少女」だった。
少女は頑として名前を名乗ろうとしなかった。拾われるくらいだったのだから、ひょっとしたら名前を持っていなかったのかもしれない。仕方がなく、ユーリは少女を勝手にリアと名づけた。後でバイロンから聞いた話だが、リアというのは死んだユーリの兄君の恋人の名前だったもので、処刑される直前にアンリが泣き縋り付いた女性だという。一時期はユーリの面倒も見ていたらしい。ユーリはどういうわけかそういう大切だった人の名前を彼女に与えた。彼女はひょっとしたら、その養母代わりだったリアと言う女性に似たところがあったのかもしれない。今となっては永遠の謎である。なぜならその、本物のリアは、アンリの後を追って服毒自殺を遂げてしまったからだ。当時にするとそれは大事件だったらしい。私もその話を当時の新聞のスクラップから知ってはじめ驚いたが、彼らが天国で幸せになっていれば良いと思う。
アンリ・ロナン元伯爵は親友殺しの罪で死刑になったが、真犯人は別の人間だったといわれている。何故そういう噂が流れたのかは知らない。だが私も、あのユーリの兄君が人を殺すとは到底思えないのだ。人を殺すことができるのはある種の特定された異常な人間だけである。真っ当な人間が人を殺すのは切羽詰ったときだけだ。その切羽詰ったときだけだって、彼らが親友と思い込んでいる相手を手に掛けることは不可能といっても過言では無い。中には、世間に「冷血漢」とかいわれる人種もいるが、彼らだって人殺しになるとなればはじめてのときくらいは戸惑うだろうし、十中八九アンリはそういう人間ではなかっただろう。バイロンの告白がその確固たる証拠である。
 私は彼女をこの眼で見て、非常に驚いた。この世でこんなことがあっていいのかと、神は本当にいたのだと思った。
それというのも、リアは私の母の若い頃にそっくりだったからである。
不覚にもどきりとしてしまった・・・・・・そんなことはレイチェル以来だった。どんなに美しくてどんなに優しい女を抱いても渇きは満たされず、心が動かされることは無かったのに、この身元の知れない年若き少女が母の器を持っていたというただそれだけの理由で、私は「よろめいて」しまったのだ。改めて自分がマザコンだと気が付いた。それから、一度も見たことの無い母の墓には少しでも花があるのだろうか、などと全くその場に関係のないことを思った。
リアは娼婦だったが、私の治安の悪い故郷ではそうでないことのほうが珍しい。私は薄汚くて卑しい、唾棄すべき土の上に生まれた。なぜか?それは知らない。全て神の思し召しだった。ただ、どんなに土地柄が悪くても、そこには浮浪児というものがいて、彼等は全く19世紀のパリの裏路地を髣髴とさせるほどにすばしこく、狡賢くて愉快な連中だった。とにかく彼女は道端に無防備にもばったり倒れていたのだ。例え元は娼婦でなくても、道で身体を投げ出していれば強姦されて売り払われるのがいいところだ。私がそう言うと、彼女は呆気にとられたような顔をした。後でユーリが苦々しげに話してくれたことなのだが、彼女は自分の前で立ち止まったユーリに「いくらで買うのか」などと言った激しい侮辱の言葉を吐きかけ、ユーリの頭に血が上ったときにばったり倒れたのだという。熱射病だった。あれほど気の強かった彼女が口に出してそういうのは想像に難くない。今思い出して想像してみても忍び笑いが漏れ出てくる。リアがユーリにきつい言葉を言う!きっと今もそんなことばかりあるのだろう、あの二人の間には。
 あの頃の私たちにとっては、別に彼女が魔性の女であろうがCIAの人間であろうがテロリストであろうが一向に構わなかったのだ。何せ私達は世間のバッシングを一身に買い取っている「犯罪界のナポレオン」だったのだから。殺人犯が初めの一人を殺せば、二人目からは躊躇いを持たなくなるのと同じようなもので、私も一度自分で罪を犯してみると、他の犯罪者は大して大きくは見えなくなった。
 私はリアを見るたびに酷い罪悪感に駆られた。別にリアに対してではなくて、彼女によく似た私の母に対してである。私は母を、あの冷たい、誰も情愛なんていうガラスほども強さを持たないガラクタを大切にしようとは思わないような砂の家に置き去りにしたのだ。見捨てたのだ。それこそまさに人食い狼の群れの真っ只中に、だ。例え母が私を助けなかったとしても、私は無条件に母を助けるべきだったのかもしれない。そうすることが親を敬うということだったのかもしれない。そんな風に、リアは私の中で後悔を呼び覚ました。私は、それを押し込めるようにして押し黙るのと同時に、自分の中にドロドロした独占欲が湧き上がるのを感じた。あの娘は私のために来たのだ、母が私に償いをするために、私が母に償いをするためにこの哀しき現世に舞い降りてきたのだと。
ユーリとリアが話すのを見るたびに胸が掻き毟られるような痛みを覚えた、その場で二人を引き離して、リアを自分の寝室に放り込んで閉じ込めてしまいたいとよく思った。それでも今度はレイチェルのときと違って隠しきれた自信がある。レイチェルに対してバードック君はきっと何度も挙動不審になっただろうが、私はリアとユーリが話しているのを傍で笑いながら見ていた確信がある。カースティン氏は、バードック君とは違って化け猫かぶりは十八番だったのだ。それに、一度崩壊した心は多少の痛みでへこたれるほどひ弱ではなかった。生の皮膚をくすぐればくすぐったいのを感じるが、瘡蓋を引っ掻いても痛みを感じないのと同じである。
 亡命のことは誰にも言わなかった。最後まで言わないつもりだった。ただ、私はそのことを思い出すたびに酷い悲壮感に駆られた。本当に此処を離れる気があるのか?もう戻って来られないのに?そんな決断をする勇気がお前にあるのか?と。そういうジレンマの中で、何度となく自分を悲劇のデヴィッド・カパーフィールドに仕立て上げようとする自分を嫌悪した。
私は一度逃げ出し、スフィアとジョージを見捨てた。スフィアは牢獄に、ジョージは墓場へ行った。彼は死んでもいなかったのに!レイチェルは私の最初の犠牲者だ。次の犠牲者は母だった。母は私に最後の最後になって助けを求めたが、私はそれを振り切って研究所に逃げ込んだ。母は死んだ。たった独りで。そして眠った。また、たった独りで。今一度逃げるのか、ユーリとリアから?先にも述べたように、私は生来光り輝く愛とか正義には打ち解けない性質である。そういう綺麗なものにどんなに溶け込もうとしても、努力もむなしく毎度見放された、そうではなかったか?そんな私に分け隔てなく接してくれた彼らから逃げる勇気がお前にはあるのか?しかしどの道逃げなければ、死ぬまで彼らを笑いながら見ていなければならなかった。私にはこれまで全く関係のなかった幸せで普通な家庭を作って生きるユーリとリアを見ながら耐えなければならなかった。私が見切りをつけたデリケートな心を持つユーリと、私のためにあの研究所に来てくれた母と同じ姿のリアの、幸福な光り輝く姿をだ!私は一度同じ事を、逃避行をジョージとレイチェルに対してもやっている。しかしあの時私は彼らを打ち砕くことができたが、今度は二人の愛を見せ付けられながら、私はユーリと俺お前で呼び合う仲を守っていなければならないのである。そうしなければ私のリアへの邪な思いを悟られてしまっただろうからだ。そうしなければ私はもう一度過去に犯した罪を繰り返さなければならなかったからだ。死ぬ前の今となっては、彼女に愛を告げたかったから冒頭にあんな言葉を残すことができたが、あの頃のまだ生に執着を持っていた青二才だったときの私に、そんな自殺紛いのことができただろうか?そんなことは私の山より高いプライドが許さない。あの時私は絶対にリアへの愛を暴露してはいけなかったのだ。だから私は鉄の仮面を被って彼らを見守っていなければならなかった。果たして私にそれだけの忍耐力があっただろうか?否。私は生来我慢強くない性質だ。だから母を見捨ててまで家を飛び出したのだし、だから今亡命している。私はやってはいけないことを阻止するために我慢しなければならなかったのに、それができなかったから逃げ出す、そういう罪悪をずぅっと繰り返していたのだ。もうやめにしなければ鳴らないと知っていた。一体、この世の何処の誰がこれほどまで思いつめることができただろう!ルビコンを前に下ユリウス・カエサルにしてもこれほどまで悩みはしなかったに違いない!もし夢の世界に私と同じだけ苦しんだ人がいるとしたらそれはジャン・バルジャンに他ならないのだ、彼は犯した罪と愛するコゼット、そしてこれから犯そうとする罪の間で振り子のように揺れ続けた架空の世界に今も息づいているフォーシュルヴァン氏でしかありえないのだ!
 私はそこまで思いつめた。そして自分の判断で今後の人生を取り決めたのだ。
それでもやっぱり私の中には灰色をした後悔が雪のように降り積もっているのである。
 傍から見て、ユーリもリアも明らかにぎこちなかった。初めからそうではなかったのは勿論だが、突然ある日から、二人がどぎまぎしながら、まるで高校生のように恥らって会話するようになった。それを見ていると、二人がお互いを意識しているのが分かりすぎるほど分かって、私は蚊帳の外なのだと言われなくても自覚した。母もそうだった。弟と母は二人だけで幸せに暮らしたのだ。私は蚊帳の外だった。私はそんな幸せそうな彼らを、指を咥えながら見ているだけなのだ。いつも仲間に入れてもらえなくて、綺麗なものを儚いとか何とか言いながら馬鹿にしながらも、心の中でずぅっと憧れてきた。ずぅっとだ。もうこれで26年目だ。私があの優しい大家さんのいた古アパートを出たときからだ。小学校で、週末が来るたびに日曜日の日帰り旅行の話をうきうきした様子で話すクラスメイト達を黙っりこくって見ていた。朝の一分間スピーチで父親の自慢をするクラスメイトの話も黙って聞いた。通学路を兄弟で仲良く手を繋ぎながら歩いて通り過ぎて行く子供を横目に見た。母親の優しい腕に抱かれた赤ん坊を羨望の目で見たことすらある。しかし家に帰ると無味乾燥な家庭が現実を見せ付けるのだ。
――――いや、こんな話はやめよう。もうどうにもならないことだ。
 ユーリにはリアが必要だった。それは肌に突き刺さるように分かった。私が邪魔をしてはいけないことも知っていた。それでも、あぁ、私は思ったのだ!亡き母が今になってやっと私を愛しに来てくれたのだと!私はやっと愛されるのだと、愛しても良いのだと思った、そう思わなければ気が狂いそうだった!母までが世間と同じようにユーリを取るなんて!母までもが最後まで私を選ばなかったなんて!確かにユーリは誰からも愛されたかもしれない。それなら私だって、道端に転がっている石ころくらいには愛されてもよかったはずだ。ああいう石ころだって、暇な子供たちには目を向けてもらえるのだ。例え投げられるだけにしてもちょっとの間だけは構ってもらえるのだ。それなのにどうして私だけが駄目なのだろう!どうして私だけが除け者にされ続けるのだろう!
カースティン氏ですらあの容貌には吃驚したのだ。もしかしたら今一度安らぎを求めてもいいのかもしれないと思った!
だが彼女はやっぱり駄目だった。私はユーリから彼女を奪ってはいけないと知っていたのだ。何故そう思ったのかは分からない。カースティン氏の、バードック君の分身に対するなけなしの愛情からかもしれない。決して赤の他人のためだったとはいえない。ただ私はユーリを傷つけてはいけないと、身体で「知って」いたのだ。
レイチェルだって結果的には私がジョージから奪った。例え手を下したのがスフィアだったとしても、私がレイチェルを自分のものにしたかったのは事実だ。あの事件は今考えても後味が悪い。二度とあんなことはしたくない。あんなことをするくらいだったら、それこそ故郷を捨てた方がマシだったのである。
 全く何の縁だか知らないが、私は本当に女運が悪いと思う。半ば無理矢理押し付けられた女が幸せをぶち壊した。・・・・・・しかしだ、スフィアも去ってみると中々寂しい。それはまた別の話として、愛した女は皆私を顧みてくれなかったのだ。皆がみんな、私の愛した人間は別の人間にぞっこん惚れこんでいるのである。母はあの人非人の弟を溺愛したまま死んだ。レイチェルはジョージしか眼中に無かった。そしてリアは―――いや、いつまでもこう呼ぶのはやめよう、これは彼女とユーリの子供の名前だ!―――本名キャロラインはユーリを選んだのだ。幾度見たことか、ユーリとキャロルが戯れているところを!私はバードック君のドッペルゲンガー、いや、亡霊のようなユーリの幸せを素直に喜ぶことができなかった。私は苦しんで、苦しんで、苦しみぬいたのに、それでも誰か私の一番愛する人が、私が愛した分だけ私を愛してくれることは最後まで無かったのだ。何時も一方的に私が愛を押し売りする形になってしまった。私が報われることはなかったのだ。
スフィアが私のところに戻ってきたときには、私の心はいい加減疲れきって、誰かを愛するなんてできなかった。スフィアが私を去ってからやっと、自分がどれだけ彼女を愛しているのかが分かったのだ。私達は不幸にもすれちがってしまった。一秒たりとも二人が愛し「あう」時間は無かったのだ。しかし、彼女は死んでしまったし、私もこれから死ぬのである。
ああ、何故だったのだ、スフィア!何故君はあんな大きな罪を犯してしまったのだ!全て私のためだったというのか?全て私のためにやって、君は殺されたというのか?
だとしたら私は世界一悪い男だ!
神様と言うのはなんて意地悪な人だろう?私達は彼のせいで彼の説く「愛」に預かれなかったのだ。それを初めて手にする前に神は私たちから時間を奪ってしまった。それに気づかせてくれなかったのも神だ。それに気づけないように私をずたずたにしたのも、結局は直接義父のせいではなくて、義父をそんな風にした環境が、つまり神のこしらえた世界が悪かったのである。それなのに彼は自分の慈悲にあやかれない人間がいることに全く気づかない。そして彼らは神を呪って死んでいくのに、神の方は痛くも痒くもないのだ。神様は本当に意地悪な奴だ!
今初めて、切々と死後の世界があれば良いと思う。スフィアに会えるならば地獄で良い。苦しみがあっても良い。もう一度だけで良いからスフィアに会ってこの気持ちを伝えたい。愛していると言いたい。彼女が去る前に私に求めたものを改めて伝えたい。いや、伝わらなくても良い、ただ彼女を前にして自分が彼女を愛していると自覚したいだけなのだ!そういう自己満足からだが、とにかくスフィアに会いたいのである。愛していた。愛している!

 指の傷が致命的な悪性腫瘍になっていたのを知ったのは丁度キャロルが現れた頃であった。父の魔の手から逃れるために亡命しても、故郷を捨てても、すぐに自分の命が尽きることを知った。どんなに懸命に人を愛そうと、どんなに頑張って人に愛されようとしても、報われずに全て終わるのだと知った。何と言うことだろう!義父は私を殺したのだ!もうこれで2度目だ。一度目は私から指を奪うだけだったが、二度目は私から命を奪う。
 あれだけ死んでしまいたいと思ったのに、あれだけ狂ってしまった方が楽だと思ったのに、もうすぐこの世を去るのだと思うと涙が溢れた。結局私はこの世の全てを愛していたのだ。どんなに憎い相手がいようと、その世界を憎むことができなかった。青空をもう見ることができないと、花の匂いを嗅ぐ事も無いと思うと背筋がぞくっとして、怖くて涙が出た。そういうものを失ったら私は悲しみで地縛霊になってしまうかも知れない。私は誰にも知られないように、ほんの少しの恥じらいと自尊心を持って部屋の中で泣いた。そんなことは珍しかった。もう涙なんて枯れたと思っていたが、全然尽きることはなかった。
「泣いてるの?」
誰かが後ろに立っていた。私は吃驚して硬直し、暫くしてから涙を拭ってまるで痙攣でもするように振り返った。いたのは青白い顔をした母―――ではなくて、キャロルだった。
「泣いてるの?」
彼女は優しい手つきで私の背中をゆっくりと摩ってくれた。理由も聞かずに黙って、ただ私が子供のように泣きじゃくるのをずっと見ていた。彼女は本当に鈍い仔だった。正気のときの私にそんなことをしたら、私は彼女に一体何をしていたか予想できない。
彼女の腕の下では、私は安心できた。心が安らいだのだ。その時はもうキャロルがユーリのことを愛していることぐらい知っていたが、酷く嬉しかった。そんな無償の労りを受けたのは、バイロンが起き上がろうとする傷付いた私の胸を押したとき以来だったのだ。そうだ、私は温かさに飢えていた、そして優しさに渇いていた。大の男が泣いているのを見て、何も聞かずに優しくしてくれる、そんな生きた温もりに涙腺が緩んで、しゃくりあげながらずっと泣き続けた。私がやっと静かになった頃、キャロルは静かに部屋を出て行った。彼女の残り香は石鹸の香りだった。
強い男は泣かない。ユーリは絶対に泣かなかった。これからも泣くことは無いだろう。
強くなれないなら鬼になりたいと、幾度もそう思ったが、私は鬼になるしかないのだとはもう考えなかった。私の視野に「思いやり」と言う、偽善とは少し違った人間の素晴らしいところがやっと入ったからでは無いかと思う。
キャロルの優しさは、新しい傷ができて高熱を出していた心に、まるで粉雪のように降り積もって、解けて、染み渡った。少しだけ贅沢になってもいいだろうかと思った。飢えて、飢えて、飢えて、飢えて、渇き切り、あとにも先にも一度も癒えたことはなく、もうこれ以上無いというほどに愛情が欠乏していたのに、それでも誰かの一番になりたかった。その位を失ってから酷く苦しむだろうということは直感的に分かっていたが、一度だけでいい、「一番」になってみたかった。幸せになってみたかった。良い意味で「特別」になりたかった。下らないものだと知っていてもなりたかった。愛されたかったし、褒められたかった。随分昔に消えてなくなったと思っていた、そんな子供じみた感情は、実は心の奥底の石牢に鉄の閂で封じ込められていただけで、鉄の閂は燃えるような恋で脆くも酸化して崩れた。恋?そうだ、恋だ。嫌な字だ。心の上に載ってる形が、まるで腕を広げた長い髪の女に見える。なんて不恰好で滑稽な字なんだろう。それでも私が恋していたことに代わりは無いのだ。愛されなくなったのは弟が生まれてから、褒められなくなったのは母が結婚してからだった。男は結婚と言う言葉を忌み嫌うが、こういう嫌な目に遭ってくると、つくづく結婚なんて人生の墓場なのだなと思ってしまう。
私はまた人を愛したのだ。馬鹿なことをした。本当に馬鹿なことをした。
そんなに馬鹿なことをするのは、無限の広さを誇る世界の中でも人間たちだけである。















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