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 彼らは変だった。
突然で申し訳ないが、彼らは事実おかしかった。そもそも彼らとは誰なのだ?そもそもが読者の皆さんにはわからないだろう。だから、これらを全部ひっくるめてこれから説明しようかと思っている。きっと少しは悲しい話の息抜きにもなるだろうからだ。
 ある日の休み時間、私が遠慮なく本を読める時間に(最も私は授業中だって遠慮しなかったが)、見たことも無い青年が声をかけてきた。もう何年もまともに人と会話していなかった私には驚くべきことだった。ましてや見た事もない男に、だ。見た事が無いといっても、彼は制服を着ていたのだから、目の端に入ったことがあってもおかしくないはずなのだが、それでも見たことがなかった。多分、それまではあまりにも生きて来た世界が違い過ぎたから会うこともお互いに見ることもほとんどなかったのだろう。それとも「視」ようとしなかっただけだろうか?とにかく、これは異常なことだった。
「こんにちは、Mr. Cool-Beast」
彼は気取った英語で(故郷は英語圏ではなかった)、おどけて言った。その口調が気に入らなくて、私は思わず読んでいた論文から目を上げてきつく彼をにらみつけてやった。彼は全然気にしないというように私に笑いかけた。
「お暇なら、我が管弦楽部にいらっしゃいませんか」そして彼はのうのうとそう言ってのけたのだ。
私は硬直した。まさか見ず知らずの人間に突然クラブ勧誘をされるとは思っていなかったからだ。初々しい新入生だったらまだしも、私は生意気盛りの中学年だった。
奇妙な事に、普通の学校では管弦楽部は総勢100人を超えることすらあるのだが、私の母校では管弦楽部と言うのはかなり人気の無い部だった。元々楽器をやる人でさえ、多くは運動部に流れていった。言うまでも無いことだが、私はいまだかつて一度も運動部に勧誘されたことが無い。見た目からしてひ弱だったからだろう。私は運動は好きでは無いし、筋力トレーニングなんて聞いただけでもおぞましいというようなもやし少年だったのでそれでよかったのだが。それにしても管弦楽部は相当切羽詰っていたに違いない、あんな不良を勧誘したのだから!
私は断った。面倒なことはしたくなかったからだ。
「僕はそんなに暇じゃない」私はそう言った。
今でもはっきり覚えているが、私は少しそっけなさ過ぎたかもしれない。彼は片眉を上げて、そうかいといっただけだった。私はまた本に目を戻した。
彼はそれから数分粘ったが、私は論文に没頭していたので彼が何を言っていたかは覚えていない。ただひたすら煩くて、迷惑だとしか感じなかった。いや、それすら感じたかどうか危ないところだ。もしかしたらこのときには私の集中力は山より高かったかもしれないから。
「我々は諦めませんぞ!」
彼は去り際に大声で叫んでいった。私が飛び上がらんばかりに驚いたのはいうまでも無い。
 それからはほぼ毎時間ごとに彼は強烈なアプローチをかけてきた。休み時間の度に教室にやってきて、他の人に聞こえるくらいの大きな声で管弦楽部のよい点を並べ立て、私の両手を握って是非来て下さいと言って行く。朝学校に来て靴箱を開くと、溢れるほどの書類が出てくる。ご丁寧にもサインまで既に入っている入部届と、管弦楽部のポスターと、私に当てた自称ラブレターと、管弦楽部のポスターと、ささやかな賄賂と、管弦楽部のポスターと・・・・・・ざっとこんな具合で、少なくとも一日十本は入っていた。ついには放課後の図書館までノコノコついて来て、隣で何か一心不乱に計算しだすのだ。気になってちらりと見ると、どうやら廃部にならない様にあらゆる手立てをしていたらしい(小田原評定にならなくて何よりだ)。彼は部長だった・・・・・・高学年の先輩がいなかったから。そして彼は音楽をこよなく愛していた。
 何ヶ月もしつこく付き纏ってくるので、一度だけ怒鳴りつけたことがある。
「いい加減にしてくれ!僕は放っておかれたいんだ!」
「なら管弦楽部に入ってください!!!!!」
・・・・・・とまあこんな感じである。素晴らしい。若いと言うのはいいことだ、と私は心の中で彼を褒め称えた。
 どこかで読者の皆様の内の何名かは気づいただろうが、私は彼の名を知らなかったのである。ずぅっと長い時間一緒にいたはずなのに、私は彼の名前すら知らなかったのだ。私は悪名高かったから、名前を知られていただろうに。彼は褐色の癖毛をもっていて、それから眼は・・・・・・何色だっただろう?思い出せない、彼は私の中で大きな存在だったのに・・・・・・年月とは人類が何よりも恐るべきものだと思う。忘却と言うのは良い傷薬にもなるが鋭い凶器にもなるのだ。
彼はジョージ・タッカーと言う名前だった。南米にいそうな、陽気な名前である。
彼はどうやら私だけを追っかけまわしていたらしい。専属の新聞勧誘員みたいなものだろうか?他の部員も暇そうな人間を追っかけまわしていた。私は一度校庭の真ん中で管弦楽部員に吊るし上げられている下級生を見たことがある。少しやり過ぎの感はあったが、熱意は認めるべきだろう。
 彼らが音楽を心の底から愛しているのは肌に刺さるようによく分かった。私はどこかでそんな彼らを羨んでいたのかもしれない。私はそんな風に駆け回り、エネルギーを使って(と言うよりは振りまいて)いる彼らが羨ましかった。きっとそうだったに違いないのだ。
 私はジョージに聞いたことがある。
「何故そこまで僕に拘るのか?僕には何の取柄も無いのに」
そう聞くと、ジョージははっきりとこう答えた。
「貴方が我が部に入れば学校中が大騒ぎになる。貴方は有名人だからだ。注目度が上がって、少なくとも観客は増えるだろう。ひょっとしたら貴方の御蔭で新入部員が増えるかもしれない。貴方は自分で思っているほど普通の人間じゃないんだ。貴方は凄く不思議で、それに・・・・・・暗い感情を持ってる。人間は他人のそういう感情に惹き付けられるもんだから・・・・・・ことに学生の間はな。それから貴方はとても綺麗な顔をしている。たまに痣が出来ていると、そのために皮膚移植の費用をがっつり自腹で出してやりたくなる位だ。貴方に取柄が無い訳が無い。貴方は多くの魅力を持ってる」
「正直で結構!」
つまり彼は私を余すことなく利用したいと言ったのだ。私を見世物にして部を維持させると。彼は他の人間のようにそれをうやむやにしようとはしなかった。ジョージはそういう男だった。他人の不正も自分の不正も許せない男だった。
私は立ち上がって、空き教室を出て行こうと思った。ジョージの顔を見ていたくなかった。恥かしかったのかもしれないし、無性に腹が立ったのかもしれない。その辺を覚えていないのは、きっと忘れたかったからだろう。
「それから、これは私情だけど」ジョージは静かに続けた。
「俺は貴方が嫌いになれない。俺は貴方とうまくやっていけそうな気がする」
私は振り返って、彼の顔を凝視した。彼は真摯な眼で私を見ていた。彼が真剣なのは眉間の皺から読み取れた。たっぷり三分は彼の顔から目が離せず、私は間抜けな格好で立ち尽くしていた。丁度その時本鈴が鳴ってくれたので、それを機会にしてやっと私はジョージから目を引き剥がすことができた。後にも先にも私が本鈴を有難く思うのはそれが最後だ。
 さて、私はいつものように家へ帰っていった。その日ジョージは私の聖域、図書館までついてこなかった。私はそれを嬉しく思わなければならなかったのに、少しだけ違和感を感じてしまったのを覚えている。その時は愚かだったから何故そう感じたのかは深く考えなかったが、それは明らかに彼のせいだった。私もちょっとだけ寂しかったのだ、煩い彼がいなくなると。
私は朝が来て、学校に行くのが楽しくなっていた。以前は「嬉しかった」のだが、その時既に「楽しく」なっていたのだ。違いは分かっていただけないかもしれないが、喜怒哀楽のうち「喜」と「楽」が分かれているのと同じだと考えていただければいい。私は白む空に大いなる期待を抱いた。私は愚かにも、それが自分の精神力が強くなったおかげだと思っていた。
もし私が今そういう白んでいく空を見るとしたら、恐らく悲しみのあまり発狂してしまうだろう。なぜなら私にとって白んでいく空と言うものは失われてしまった過去と失われてしまった未来を象徴するものだからだ!私がこのアパートのこの一室を選んだ理由は、窓が北向きについているからである。此処では太陽があまり表情を剥き出しにしないでいてくれる。澄んだ青い光が古い綿のカーテンを透かし、田舎の快い甘さと土臭さを混ざり合った風が開けた窓から入ってくる。青い光は決して赤くはならないし、爽やかな風が都会の生臭い臭いを運んで来ることはない。彼らがもたらすのはごく小さな空間での不変と、ごく穏やかな私の心に起こる恐るべき強さを持った静かな漣のような哀愁だけだ。私は過去を忘れたいとは思っていない。なぜなら、その風が吹くたびに私は哀愁をいとおしんでいる気がするからだ。私はそういった一陣の風が吹くと背筋が粟立つのを感じ、目頭が熱くなり、顎の奥が喉の奥のほうでカチカチと震えるのを感じる。次の瞬間にはもう泣いている。みっともないが、どうしようもないのだ。私は昔が懐かしくてたまらない。あれだけ酷いことがあったのに、だ!祖国の空気は私を病にするのに、だ!
 かなり話が逸れたが、ようするに私が言いたいのは、私の目に入る日光は私には少々眩しすぎると言うことだ。太陽の光は私の目を焼く。焦がす。焼き尽くしてしまうのだ。朝日を見れば今は既に無い希望を嘆き、真昼の明るい日を見れば研究所にいた頃は全く関係のなかったそれを懐かしみ、夕日を見れば言い知れない恐怖が押し寄せてくる。朝は来るのか?私は生きているのか?私は死ねるのか?もうあの義父すら私の傍にはいないのに、私はとても怖くなる。早く解放されれば良い、輪廻は存在しないと無理矢理信じる。人の生きる世でこんなに苦しむのなら、二度と同じことは味わいたくないと思うからだ。魂が廻って廻って、またこんな目に合うくらいなら、いっそ死んだその時に魂が消滅してくれる方が百倍ましだ。千倍も一万倍もましだ。私は傲慢だから自分の信じたいものを信じ、そして裏切られると激怒し憔悴する。そうだ、死とは全ての終わりなのだ!
 話が大分逸れたので、元に戻すことにしよう。
私は家に帰った、そしてそこにはいつも通り「彼」がいた。私は逃げず、彼の顔をじっと見、立ち尽くした。すると彼は立ち上がり、私は僅かにたじろいだ。義父は私に微笑みかけながら言った。嫌な笑いだった。義父は何時だって良い笑い方はしなかった。
「今日はまた一際苛め甲斐のある表情をしているよ」
私の血の気は津波の前ぶれのように引いていった。私は初めて抗い、逃げ出そうとし、それなのにやはり彼の顔を見られなかった。彼は私に言ったのだ、お前は幸せそうだと。そして私はその頃それを認められなかった。私は、鬱陶しい彼らのことを疎んでいなければ、弱すぎて虐げられながらでは生きていられなかったのである。
 私はまた絶望の深淵に突き落とされた。そうだ、彼らは哀れな私に構ってくれる。私は独りだ。そして有頂天になっていた。私は忘れていた、いつか彼らも私を見捨てるのだと。いつか彼らは私に飽きるだろうと。

 朝が来る頃には、私はすっかり変わっていた。
私はまたもや壁を強固にし、鉄の鱗と、毒の棘を持つことを選んだのである。

























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