16

 「どうしてこんなところにいるの?」
「それはこっちの台詞だよエミリア!僕は出演してたんだからここにいて当然だろ?」
「じゃこの人と友達?」
「そうだといわざるを得ないだろうね」クラクスーがヴィクトールを横目に見ながら、至極嫌そうに言った。
クラクスーとこの美少女が親しげに口論している間、ヴィクトールははらはらしながら待ち伏せ、シエルは思わずその少女に見惚れていた。何せシエルはそんなに綺麗な少女をついぞ見たことがなかったのだ。蜘蛛の巣を一本一本紡ぎ直したような輝きを放つ、緩慢なカーブを描いた銀髪に、純度の高い翡翠のような大きな瞳をしている。肌はシエルのそれよりも白くて手触りがよさそうだった。とにかく彼女の美しさを語り始めればきりが無いくらいだ。ヴィクトールは彼女をクラクスーに押し付けてほっとしたようだったが、シエルは早くも胸の中にときめきを覚えていた。
これはもしや初恋か?
嗚呼、青春。
「クラクスー、紹介してよ!気の利かない人ね」
「僕がいなくたって自分で押し売りしただろうに。・・・・・・ヴィクトール、シエル、こちらエミリア・カイザー嬢。高名な地理学者の兄君と二人暮しで・・・・・・えーっと、いくつだっけ?」
「今年で十五よ」
「まぁ、つまり幼馴染ってことだよ。それからこれがヴィクトール・ラシード、さっきジェンナロ役やってた人」
「知ってるわ。劇が終わるまで穴が開くほど見てたもの」
ヴィクトールの片足が思わず一歩引いたのをシエルは盗み見た。
「これはアシュリエール・ヴァラファール。皆シエルって呼んでる。さっきまでルクレツィアをやってた人」
「初めまして、ヴァラファールさん」エミリアはヴィクトールにはやりもしなかったであろう挨拶を「今更」した。
「シエルでいいよ」
「あっ、じゃああたしのこともエミリアで・・・・・・熱演されてましたね。見てる間中、此処が男子校だってこと忘れてました。ほんとに美人でしたよ!」
「どうも」折角話しかけられているのに、素直に喜べないあたりが哀しい。
「これからの予定は?」
「帰る」シエルはエミリアの質問に思わず即答した。
「ちょっとこれから校内を歩き回ったら大変なことになるだろうし。晩御飯の準備もしなくちゃいけないから・・・・・・」
「晩御飯?」ヴィクトールが絶句した。「お前、母親は?」
「旅行中。結構しょっちゅうなんだ」
「そんな・・・・・・。苦労人だなぁ」
「いや、家に一人でいられるって結構いいもんだよ。とにかく、僕は先にお暇するよ」
「待てよ」ヴィクトールが踵を半分返したシエルにいった。
「もしこれからしばらく文化祭散策に付き合うんだったら、その後うちに来いよ。親父、今日は非番だから早く帰ってこれるし、料理の手伝いしてくれる人が来たら親父が大喜びするだろうし、何より折角劇が成功したのに乾杯の一つもしないなんて寂しいだろ?」
「えっ、でも悪いよ・・・・・・」
「おーい、お二人さん、乾杯って言うんならもちろん僕も呼んでくれるんだよねぇ?」クラクスーが嘴を突っ込んだ。
「えぇ?!何でお前が・・・・・・」
「あたしも連れてって!」積極的過ぎるエミリアが飛び跳ねて言った。
「――――っ仕方ないなぁ、くそ!もう大盤振る舞いだ。帰りがけに食材買って行って親父をこき使うぞ!」
「エミリア、君はヘンリー兄さんに言わなくちゃ。僕もお祖父様に電話して・・・・・・・ま、後でいいか」
「ねぇまだ僕行くって言ってないんだけど」
「あ?来るだろ、シエル」ヴィクトールはけろりとしていった。
シエルは横目ではしゃぐエミリアを見、思わず一瞬打算的になりつつ、赤くなって「うん」と一言呟いた。
 帰り道は楽しかった。クラクスーの屋敷とエミリアの家は近いらしく、帰路は彼が彼女を送ることになった。何でも彼の祖父と彼女の兄に懇願されたらしい。四人は文化祭でやった射撃の景品をいじくりまわしながら、スーパーにパイ生地やらハムやらを買いに行った。
「クソッ、俺はたったの金平糖一袋だ!」
「僕パンダのぬいぐるみ・・・・・・」
「僕は鼻眼鏡をゲットしたよ」
「あたしなんてピンクのマッシュルームカットの鬘よ・・・・・・・」
それでもエミリアが一番射撃の腕は良かった。
「ゲッ、僕だってそんな趣味の悪いのはごめんだよ」
「ひどいわね!鼻眼鏡なんて時代遅れよ!今はシリコン仕様の特殊マスクの時代よ!」
「何をぬかす!見てろよ、僕がヘアー・アーティストとして出世したらこのアイテムはパリのモード界の最先端のアクセサリーに・・・・・・」
「クラクスー、お願いだからやめて!道の真ん中で鼻眼鏡なんてつけないで!」シエルが慌ててクラクスーの手からそれを奪い取った。
クラクスーはふくれっつらをして(それでも痩せすぎた所為で大して膨らまなかったけれども)腹いせにヴィクトールを小突き回した。
「クラクスーのうちは、誰か劇見に来た?」シエルが聞く。
「近所づきあいでエミリアだけかな。お祖母様を呼ぼうと思ったんだけどさ、腰をやられちゃって動けないんだよねぇ」
「あれ、クラクスーって祖父母に育てられたの?」シエルが無邪気に聞く。
「んー、そうだね。お祖父様は僕に両親は交通事故で死んだってずっと言ってるけど、あんまりありきたりすぎるから、僕はきっと両親はソ連の諜報員だったんだと踏んでいるんだ」
「いやありえないから」エミリアがすかさず突っ込みを入れた。
 四人はヴィクトールとフェリックスの愛の家(違う)に着くと、土足で敷居をまたいで入っていった。
「ヘー、ヴィクトールの家って一軒家だったんだぁ」
「親父がお袋と結婚したとき買った家だからな。お袋がまだ生きてたから、二人でそれからぼろぼろ産むつもりだったらしい」
「えげつない言い方するなよ」シエルがげんなりした。
確かにヴィクトールの家は、大きいとはいえないが、こぢんまりとして質素だった。汚すぎることも綺麗すぎることもなく、装飾性をかいた家ではあったが、居心地が悪いという事は無かった。はじめてきたところだが、シエルはそれほど気を揉まずに台所に入れたからだ。いつもフェリックスが掃除をしているのだろうか、それともヴィクトールだろうか?
「シエル、コーヒー入れるよ」
「あ、うん、ありがと。・・・・・・ハムとか生鮮食品は冷蔵庫に入れたほうがいいよね」
「ああ、頼む」
シエルは紙袋からハムとクランベリー・ソースとサーモンと野菜類を取り出して冷蔵庫を開けた。中を見ると、思わず溜息が出るほど整理整頓されていて、しかもほとんど空っぽだった。
「ヴィクトール、ラシード先生に今日はもう夕飯のおかずを買いに行かなくて良いよって言った方が良いかもよ」
「俺以外の誰かにやらせて」ヴィクトールがコーヒーメーカーに水を注ぎながら言った。
「僕もやだよ」シエルは即答する。
「今日舞台の上でずっと睨まれてたんだもの。きっとあんな不埒な作品だからお気に召さなかったんだよね。主役だからさ、絶対目つけられた」
「そう落ち込むなよ。俺と仲が良い時点で親父の目に既に止まってるんだから」
「仲が良い?!」シエルは反射的に絶句した。
「誤解もいいところだな!ほんとに迷惑だよ、全く、君なんかと仲がいいなんて・・・・・・・」
「じゃ、クラクスー、お前やれ」ヴィクトールはまるでシエルの言ったことが聞こえなかったかのように言う。
「・・・・・・あー、いいよ、その代わり数学の宿題見せてね」
「いつもだろ?」
どうやらフェリックス・ラシード氏はよっぽど青年達に嫌われているらしい。クラクスーはだるそうに食パンをトースターに突っ込んで、欠伸をしながら電話機に向かっていった。見るからに面倒臭そうだ。
シエルとヴィクトールはその後姿を見送ってからぷっと吹き出して、夕飯の支度に取り掛かった。
 おかしい。フェリックス・ラシード氏がそう思ったのは、既に空が闇に包まれた頃、家の玄関で靴を脱いだときだった。靴が異常なほど多いのだ。数えてみると、いつもは二組しかない靴が、自分のも入れると五組もある。
玄関からリビングに進む廊下には珍しく電気がついている。親不孝の息子は、鍵を開けるために玄関の電気はつけてくれるけれども、廊下で転ばないために足元を照らしてはくれないのだ。そしてその廊下の先にあるリビングからは笑い声が聞こえる。
初めにフェリックスが心配したのは空き巣だった。泥棒の割には随分と礼儀正しいらしく、靴はきっちりとそろえられていたのだが。フェリックスはそれが全て学生用の革靴であるということに気がつく前に、息子の安否を心配してリビングに駆け込んだ。
そこには血みどろになった自分にそっくりの息子の姿が・・・・・・
――なんてことはなく、そこには此処にいるはずの無いモノの姿があった。
テーブルの上には既に作られた夕飯、息子の周りには自分の受け持つ教科の成績がお世辞にも芳しいとはいえない二人の教え子、そして年頃の少女。
「・・・・・・?!」フェリックスは言葉も無く驚愕した。
「あ、おかえり」
「お邪魔してますー」
「お疲れ様です」
「あら、お父様も渋くてイイのね・・・・・・!」
必要も無いであろうが注釈をつけておこう。一番上がヴィクトール、二番目がシエル、次はクラクスー、最後がエミリアだったのは言わずもがなだ。
「な、な、な、な、な・・・・・・・」
「あれー、先生、夕飯の材料買ってきちゃってますね」
「クラクスー、お前電話したか?」
「あ・・・・・・忘れたv」
「仕方ないなぁ・・・・・・じゃ、先生、それは明日の晩御飯になりそうですよ。さ、先生、掛けて下さい・・・・・・あ、僕が言うのもなんですね」
「食事や団欒の前にだね、お前達」フェリックスは震えながらヴィクトールに買い物袋を押し付けた。
「とりあえず此処にいる所以を説明しろ・・・・・・!!」
 最後に勝利したのは勿論子供達だった。いうまでもないだろう、どんなに多大な権力を持った大人であっても、芯の通った理論をもって対決できない子供には決して勝つことができないのだ。
クラクスーが事の顛末を非常に事細かに説明した。シエルが今晩独りであること、ヴィクトールが哀れに思ってシエルを連れてこようとしたこと、自分が割り込んだこと、折角だから夕飯の準備をした事などなどだ。
「それで、そこのお嬢さんは?」
「息子さんの花嫁こっ・・・・・・」エミリアはいい終わる寸前にシエルに口を塞がれる。
「僕の知り合いです。ついてきてしまって」クラクスーが瞬時に応答した。
「ご近所か」
「ええ。夜は僕が彼女をおくりとどけますから」
「―――まだ学生なのだから節度のあるお付き合いをするように」
「あ、はい、分かってます」そう言ってクラクスーはなぜかシエルの腕を掴んだ。
「おいっ、ちょっと!」シエルが絶句する。
「あの、あたし違います!」エミリアは解放された途端に叫んだ。
ヴィクトールだけが、静かに、まんじりともせずに席について彼らを待ち続けていた。
「シエルの力作なんだから早く食べようぜ」
そういわれて他の四人は席につく。フェリックスは、シエルが存外料理がうまいということに気付いて、これは是非とも技術家庭の教師に知らせなければとふと思った。しかしそんなことを長々と考えているわけにも行かなかった――ついさっき見知った少女が息子に激しい秋波を投げかけているのだ。クラクスーはフェリックスの苛立ちを敏感に感じ取ったのか、「すみません・・・・・・ほんッとにすみません」と何度もフェリックスに囁いていた。
「ヴァラファール、お前の母親は何故家にいないんだ?」
「旅行中なんです」シエルは苦手な教師に話しかけられて思わずひくひくと顔を引きつらせる。「しょっちゅうあります」
フェリックスは目の前の金髪の少年が急に緊張したのをひしひしと感じ取ることができた―――もともと繊細な方なのだ。見た目はよく言えば渋くて精悍ないい男、悪く言えばゴツい。しかし中身はそれこそ詩人と大して変わりなかった。全ての数学者に共通するような、あの気質がフェリックスにもあったのだ。
「今日は日曜日か」
「はい」
「明日は学校は代休だな?」
「そうですが」
「泊まっていけ。夜道は危ない」
「・・・・・・ハァ?」
皆さん、此処でなんて乙女心の欠損した主人公なのだろうかと嘆息しないで頂きたい。此処で即座に頬を赤らめて、「そっ、そんなっ」などといえばまだ可愛げもあるし後々を期待もできるだろうが、そうまでしないのは常人の性だ。恐らく皆さんも、突然苦手な教師にこんなことを言われたらシエルと同じ返答をするはずだ。そう、シエルはどんなにあがいても男なのだし、仮に体が女であっても、16年も男として育てられていれば、少なくとも30くらいまでは男の気質でいられるだろう。何故30なのかといえば、それは女の曲がり角だからだ――――丁度女が人生に疲れてくる頃だ。
「でも、そんなことできませんよ―――仮にも生徒だし・・・・・・」
シエルは心にやましいことなど何にも無かったが、それでも軽い抵抗を覚える。
「生徒に夜道を歩かせられん。いくら男だとしてもだな・・・・・・」
「そうそう、暴漢は穴があれば男だって女だっていいんだからな」
「こ、こんなこと言う奴と同じ屋根の下で寝泊りしたくないです!」
「ヴィクトール・・・・・・・!!!!」
「まぁ、シエルが女の子と間違えられる可能性は充分あるから、泊まっていった方がいいと思うよ」クラクスーがレタスを切りながら言った。
ヴィクトールは女の子のいるところでなんてことを言うんだ!などと言いながら殴りかかって来る父親を巧く交わしてハンバーグを口に入れた。

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