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 とある月曜日、此処まで読まれた方はどの月曜日か大体予想がつくとは思うが、とある男子校のとある教室では、金髪のどえらい美少年が顔を真っ赤にして、痩せぎすの青年と黒髪の青年に愚痴を言っていた。
「もう最悪だったんだよ!エミリアには「隣で歩いてると恥かしい」とか言われるし、飲み物は零すし、送るのは断られるし、おっさんが「お嬢さんたち私とお茶でも飲まんかね」とか言ってきたんだ!」
「災難だったなあ、そりゃ」ヴィクトールがしんみりと頷く。
「隣で歩いていると恥かしいのは君が美人だからさ。男の人が声をかけるのも仕方がないよ」クラクスーがフォローにならないフォローをした。
「もう駄目だ・・・・・・僕は一生女の子とデートできない・・・・・・」
「じゃあ俺とデートするか」
「止めてよ気色悪い」シエルがヴィクトールの誘いをバッサリ切り捨てた。
「ところでさ、ヴィクトール、次の数学の宿題やった?」
「ああ、うん」
「うぇっ、次数学だっけ・・・・・・」
「宿題見せてよ。シエルのフランス語のノート確保しといてあげるから」
「おっしゃ!ちょっと待てよ」
「クラクスー!人の物を勝手に売り物にするなよ!」
シエルの怒声と共にチャイムが校内に響き渡った。

 『シエルがえらく落ち込んでいたよ、君とのデートが万事うまくいかなかったって』
「とっても楽しかったって言ってちょうだい。後3年待てばきっといい男になるわ」
『何をまた年寄り染みた事を言ってるんだい。シエルのほうが2つも年上なのに・・・・・・じゃあ切るよ。良かったらまたシエルと出かけてやってくれ』
「ええ、楽しみにしてるわ。じゃあね」
そう言ってエミリアは旧式の受話器を置く。休日の疲れがどっと出る月曜日の午後――確かにデートは万事うまく行かなかった、とエミリアは苦笑した。できることなら二度とシエルと二人きりで連れ歩きたくは無い。何処から見ても、カモがネギ背負って歩いている女友達同士にしか見えないし、お世辞にもつり合ったカップルとはいえなかったからだ。
その日はクラクスーの祖父がカイザー家に来訪していた。孫の方もあまり足繁く屋敷に来るわけでは無いのだが、今年で御齢70にもなろう祖父の方はまだ一度もカイザーの屋敷に来たことはなかった。いや、一度だけあったかも知れない――二人の兄妹が引っ越してきたときの挨拶に。
ヘンリーと老紳士はかれこれ2時間も同じ部屋にこもっている。何を話しているんだろう?エミリアが帰ってきたときにはもう老人は来ていて、家政婦が「邪魔をしてはいけませんよ」とひそひそと囁いてくれた。
しかし、好奇心の旺盛な14歳の少女に――しかも特別に破天荒でお転婆の少女に、どうして二人の会話を盗み聞きしないでいられただろう?ひょっとしたらそこに冒険の糸口があるかもしれないのに。
エミリアはとうとう堪えきれない欲求に負けて、ヘンリーの書斎の扉の前に立った。
エミリアの家は、外見こそ荘重だが壁や扉は意外に薄い。そっと片耳をドアにつければ充分向こうで話していることが聞こえるほどだ。外はもう薄暗くなっているので、廊下にはちらちらと白熱灯の光が灯っていたが、書斎のドアの隙間からは一層強いランプの光が漏れ出ていた。
「・・・・・・――それで、クラクスー君にはもうそのことは話されたんですか?」
「いいや、これはまだ私の希望でしてな・・・・・・」
「こちらとしては願ってもないことです。クラクスー君のような立派な青年にならエミリアを預けられます」
(え?あたしの話?)エミリアは喉から心臓が飛び出そうなほど驚く。
(預けるって?)
「勿論まだ孫には了解を取っておらなんだが、私はやはり孫には相応しい生まれの女性と結婚して欲しいのですよ。ですから、まだ口約束ではありますが、よければ考えていただきたい・・・・・・何も今すぐ婚約というわけでは無いのですよ。婚約するといってももちろん破棄はできますし、うちの孫にも嫌がるようなことは絶対するなといい含めておきましょう。ただこれからは二人に許婚となってもらいたいだけなんです」
(許婚・・・・・許婚ってもしかして)
「分かりました。それとなくエミリアのほうにも仄めかしておきます」
(こ・・・・・・婚約?!あたしとクラクスーが?!?!)
エミリアは呆然として思わず立ち尽くした。
何の恋愛感情も持っていない相手との婚約なんてイヤだとか、どうしてそんな非道なことをうちの愚兄は承諾したのとか、そんなことでは無い――それ以前の問題だ。エミリアの頭では、ル・ケラック氏とヘンリー卿の話していたことがまだ理解できず、これから先3分待っても実感は湧かなさそうだった。
「それではエミリア嬢の良いお返事を待っておりますよ」
「こちらこそ」
ヘンリーと老人はそう言って別れの挨拶を交わしたらしく、紳士たちの立ち上がる音がドア越しに聞こえた。
エミリアはほとんど本能的に、ドアから脱兎の如く駆け出した。


 十月十五日 土曜日
 きょうはすごいあらしだ。こんなあらしはぼくはうまれてはじめてみた。
かあさんもとうさんも今はどこかにいってる。かえってこれなくなっちゃうかもしれない。
そしたらソーシャル・ワーカーとかいう人がぼくたちをみつけてくれるかもしれない。そしたらもうとうさんやかあさんとはいっしょにくらさなくてもいいかもしれない。
ソーシャル・ワーカーのことはしんぶんでよんだ。「まちにあふれるかわいそうなこどもたちをすくいだす」のがしごとらしい。
ぼくはとうさんやかあさんになぐられてもちょっといたいだけでなんともないけどシェラスティは別だ。シェラスティは小さいし女の子だ。おなかをけられたりしたらどうなるか分からない。
このまえもなぐりとばされて気を失ったし、さっきもかあさんにおなかをけられて、今シェラスティはひどく血をはいてる。はぐきが切れただけならそれにこしたことはないんだけれど、どうやらそれだけじゃすまなさそうだ。びょういんにどうにかしてシェラスティをつれて行きたいけど、このあらしじゃかえってこれなくなってしまうかもしれない。それになにしろぼくはびょういんがどこにあるのか知らないんだ。
 にっきさんおねがいします、もしあなたにまほうのちからがあるんだったらシェラスティを助けてください。
シェラスティだけでいいんです、ぼくもなんていいません。この子にだけはしあわせをいきてほしいんだ。
こんなあなぐらからはだして、キレイなシェラスティの血をとめて上げてください。きっとびょういんまでいったらソーシャル・ワーカーの人が助けてくれる。だからこの子をびょういんまでつれて行ってあげてください。
・・・・・・ああ、なんてことだ!かあさんがかいだんを上っているおとがきこえる!

 「よっ、シエル、なーに読んでるの?」
「う、ワ・・・・・・吃驚するじゃないか!」シエルは驚いて仰け反った。
例の日記を読んでいたところを、クラクスーがその日記を引っ張って取ってしまったのだ。よく破れなかった、とシエルは心の中で安心した。
「えー、広告の裏紙だよね、これ・・・・・・」
「家のソファの下に埋まってたんだよね。多分前の住人が持っていき忘れたんだと思うんだけど・・・・・」
「日記?随分スペル間違いがあるみたいだけど」
「うん、多分5,6歳くらいの男の子の日記。かわいそうな子なんだよ」
「面白いの?」
クラクスーはそういいながらぱらぱらと日記を捲っている。字が読みづらいにもかかわらず、クラクスーは読むのが速い――昔からのことだ。シエルはクラクスーが「神曲」の全編を3日で読んでしまったと聞いて本当に驚いたのだから。
「ああ、まあ、暇つぶしには最高だよ」
シエルはそう言ってクラクスーを眺めた。
最後のページまで捲り終わると、クラクスーは奇妙な顔をした。少し青褪めて、目を見開いている。
「どうしたの?刺激が強すぎた?」シエルは心配になって声をかけた。
「あ、ああ・・・・・・大丈夫だよ。シエル、これちょっと借りてもいいかな、もっとゆっくり読んでみたいんだけど」
「え?まだ僕読み終わってないんだけど」
「そこを何とか!」
「うーん・・・・・・まあいいよ。今月中に返してね」
「わかった」
クラクスーはそう言って、あの紙束を持って自分の席に帰っていった。
 6限目の化学の授業を終えてようやく家路に就いた。化学はつまらない。理系の人には願ってもない科目かもしれないが、文系のシエルには耐えがたい拷問のような教科だった。しかも化学の老教師とは妙に波長が合ってしまって、しかも6限目で疲れているのでシエルは毎回気持ちよく眠らせてもらっている。
それにしても、普段滅多に平静を失わないクラクスーがどうしてあんなに取り乱して日記を借りたがったんだろう?今から考えてみればおかしな話だ。何かクラクスーはあの日記に関して思い当たることがあったに違いない。
でももしそれが聞かれたくないようなことだったら?人には言いたくないようなことだったら?
しかしまあ普段、クラクスーは必要以上に人に干渉しない。そこが彼のいいところだ。
シエルも、ヴィクトールも、そして恐らく他の皆も、クラクスーには気を置けない。クラクスーは人の嫌がるようなことは絶対しないし、嫌がるようなことは聞かない。必要以上に問い詰めたりもしない。その辺の「プライバシーの問題」はいい具合に放置しておいてくれる。そこが、シエルがもう3年近くクラクスーに信を置いている最大の理由だった。
もうかなり寒くなってきている。雪が降ってもおかしくない。クリスマス休暇がもう1ヶ月先に迫っていたが、それより前に中間テストが――全教科が課題になる大きなテストが待っていた。多分今年も去年と同じように、クラクスーの大きな家にお邪魔して1週間試験勉強をすることになるだろう。クラクスーの家の主とその妻は気を利かせて大抵旅行に出かけてくれたし、心優しい家政婦さんは夜食や飲み物をいつも差し入れしてくれた。しかもクラクスーは理系の天才だ。これだけ揃っていれば、試験勉強と称して押しかけない手は無い。
 シエルが強い風に吹かれて解けたマフラーを巻きなおしていると、突然視界の端にしきりに手を振る少女が入った。
「エミリア?」
「シエル!シエル、ちょっとまってよ!」
エミリアはブーツをはいた足で大急ぎでシエルのほうに駆け寄ってくる。シエルはそのあまりの必死さに思わず立ち止まった。
「どうしたの?そんなに急いで」
「ちょっと話したいことがあるのよ」
「え?あ、うん・・・・・・この近くにいい喫茶店があるからそこにいこうか」
「ええ」
エミリアはそう言ってシエルの隣に引っ付いた。シエルは思わず奇妙な顔をする。嬉しいんだかそうでないんだか。
銀色の髪の乙女は、銀色の空の下で随分取り乱しているようだった。

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