22

 「シエル!これから図書館行かない?」
「ごめんクラクスー、今日はちょっと人に呼ばれてるんだ」
「へえ。誰?」
「カイザーさんだよ。エミリアのお兄さんから昨日電話があって・・・・・・」
「えっ、君がヘンリー兄さんに?それはまたおかしいな・・・・・・まあ途中までは一緒だからついて行くよ」
「ありがとう、実はこの前エミリアを家に送ったときの記憶がおぼろげだったんだ」
シエルはそう言ってクラクスーが鞄を持ち上げるのを見る。
そういえばクラクスーには浮いた噂一つないけれど、よく見れば結構良い男なんだよな。エミリアもそんなに落ち込むことないのに。
それに凄くさばさばしてるから、愛情なんてなくてもそれなりの結婚生活はできるし、何より裕福だ。何の不自由もなく優雅に暮らせるじゃないか。
最も、エミリアは今のままだってそうだけどさ。
「クラクスーってさ、浮いた噂のひとつや二つもありそうなもんだけど、中々聞かないよね」
「な、何を突然」
影法師は既に東側に伸び始めていて、クラクスーの頬が赤く見えたのは夕日の所為かそうでないのか分からなかった。
「そんなに女遊びが凄そうなわけでもないんだけど・・・・・・うーん、場馴れしてそうなんだよなあ。何でだろう?」
「小学生のとき色々あったのさ」
「小学生?!?!」
今度はシエルが目を剥く。小学生?シエルが小学生の頃はまだ缶蹴りをして遊んでいた。
「11のときの先生がそりゃあ美人でね、色々教えてもらったりしたんだよ、うん」
(色々って?!)
シエルはそう突っ込みたいのをぐっと堪えて引きつった笑いを浮かべた。
「うーん、これから話をしたら外が真っ暗になっちゃうね。この辺結構変な人が多いんだ。なまじ大豪邸が多いから、お嬢様方に目を付ける変態がいてね。送って行って上げようか、家まで?」
「えっ、でもいいよ、遅くなるかもしれないし。大丈夫だよ」
「そう?・・・・・・まあいいけど」
クラクスーはそう言って、ここだよ、とシエルにカイザー家を指差した。
「ありがとう」
シエルはそう言って、レンガ造りの階段に足をかけた。

 「やあ、お待ちしておりましたよ、ヴァラファールさん。突然お呼び出しして申し訳ありませんでした。初めまして、ヘンリー・カイザーと申します。お噂はかねがね妹から聞いておりました」
「はあ、どうも・・・・・・シエルで結構です。今日は一体どういう用件で?」
「まあまあ、そんなに急がずに、取り合えずおかけになってください。故郷から取り寄せたとっておきの茶葉があるので」
初めて見るエミリアの兄は、見た目は似ていてもエミリアとは正反対の人なのだなと思わせる何かがあった。確かに、銀の眉の下にある翡翠の瞳はエミリアのそれと同じ色をしているが――妹のそれと同様、霞一つない冴えわたった眼だ――そうだ、輝きだ。輝きが違う。エミリアのそれはキラキラと光ってまるで宝石のようなのに、ヘンリー卿の瞳は深くて、腕を突っ込んだら何処までも底なしに溺れていってしまうような、暗い光を湛えていた。
言葉は水が滑るように流暢だが、その中に鋭利な何かが隠されている。人の良さそうな笑顔に字面だけの言葉はともすると相手を油断させそうだが、その瞳と口調だけはヘンリー卿の影の部分を隠しきれていなかった。
そのせいだろうか、この人は一筋縄では行かない人だとシエルは思った。
「砂糖はいりますか?」
「いえ、結構です」
ヘンリー卿が茶を入れる姿は、さすが本場仕込みなだけあって優雅だった。
だけどどうしだろう、ラシード先生がコーヒーを注ぐときのようなあの生活臭がしないのは・・・・・・
シエルの前に、ダージリンのミルクティーがつ、と置かれる。
「エミリアはどうです?」
「は?」
紅茶に口をつけると、それは上品だが何処か俗な味がして、そういえば紅茶はインドの産物だったかなあなどと思う。久しぶりに飲む紅茶はおいしかったが、シエルは格別それが良いとは思わなかった。
「あなた方の邪魔になってはいませんか?」
「いえ、そんなことは・・・・・・むさ苦しい男子校の中では花のようなものですよ」
「貴方が言っても説得力がありませんね」
ヘンリー卿はクッと笑ってカップを持ち上げる。嫌な笑い方だ。聞いた話によるとイギリス人というのはすぐに人を試したがるらしい。シエルは思わず身構えた。
「クラクスー君とは仲がいいんですか?」
「親友・・・・・・ですかね」
「いえ、実は今度クラクスー君とうちの妹を婚約させようと思っていましてね。何か問題があるように見えますか、君から見て?」
来た。
来るか来るかと思っていたところだった。シエルは薄々、自分はこのために呼ばれたのではないかと感づいていたのだが、確かにそのとおりだった。野生の勘もバカにしたもんじゃない。
「な・・・・・・何ら問題は無いように思えますが。幼馴染でしょう」
「貴方とエミリアは確かいつだったか連れ立って歩いたことがありましたよね?」
ヘンリー卿がシエルにスコーンを勧めたが、シエルは丁重にお断りした。
「何でも私に教えてください。もし二人の間に何か不都合なことがあれば、もちろん無理強いはしませんから」
シエルはヘンリー卿の目をじっと見つめた。本当の意図は何だろう――もしそんな事を聞くためだけだったらシエルじゃなくてもよかったはずだ。
シエルは、あんたの妹が好きなんだ!と叫びたい衝動を堪えて口を切った。
「エミリアはヴィクトールに片思いしてるんです。この前逢引を手伝ってくれと・・・・・・」
「それは本当ですか?」ヘンリー卿は伏せていた目を上げた。
「ええ、でもヴィクトールはエミリアにつれないんです」
その時シエルはヘンリー卿の瞳に安堵の色が走るのを見た。
   この人は何かを隠している。
シエルの第六感に誰かが囁いた。
「あれですか、初恋は実らないとか言う奴ですね・・・・・・」
「それで僕に何の用です?」
シエルが鋭く聞くと、それまで空を彷徨っていたヘンリー卿の目がぴたりとシエルの額に止まった。
「――聡い子は好きだ」
ヘンリー卿はきれいに後に撫で付けられている髪を神経質に触って整える。全く荒れていない「学者の手」だけが、何事もなかったかのように紅茶を注ぎ足した。
「話が早くつきそうで嬉しい」
ヘンリー卿の口調が、先ほどの取ってつけたような丁寧語ではなくて、自然で威圧的になっている。
「取引がしたかった。私はクラクスー君もエミリアも君の話をするのを聞いたことがある。その内私は君自身に会って見たくなった。そして私は君を呼んだ」
ヘンリー卿の瞳は揺らぐことなくシエルの目を見つめている。
「もちろん見るためだけでは無い。取引がしたかった」
「――なんです?」
「君はうちの妹に懸想しているだろう」
ヘンリー卿がにべもなく言った――シエルの頬に血がカッと上って、恥かしさと怒りがごちゃ混ぜになって湧き上がってくる。
一体いつばれたんだろう?
「君の様子や君の話を観察していればすぐ分かった。もし君が私の要求に応じてくれるのであればエミリアをくれてやってもいい」
「?!」
シエルは目の前の学者の言ったことに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
この人ときたら、気味が悪いくらい洞察力がある。その上実の妹を物々交換の対象のような言い方までするのだ。
「は・・・・・・?仰る意味がよく分かりませんが・・・・・・」
「そのままの意味だ。私と取引をするんだ。そうしたら妹を君のところに嫁がせてやる。親心としては一番好きな人と結婚して欲しかったが、相手がつれないなら君が一番良い。君ならエミリアを大切にしてくれるだろう」
ヘンリー卿のいっていることは至極まともだ。だが何かが違う、どこかが間違っているような気がする。
どこが?
ヘンリー卿のエメラルドの瞳が煌く。
「この家に来るんだよ、シエル君――婿養子として」
「なっ・・・・・・!」
シエルは思わずカップをひっくり返しそうになって、慌ててヘンリー卿が手を伸ばして止めた。
「一体どういう目的で――」
「クラクスー君をこの家に縛り付けるのはそれが一番だと思った」
ヘンリー卿はシエルのほとんど叫び声のような叱責に、非常に強い語調で答えた。
「この際腹を割って話し合おうじゃないか。
エミリアとクラクスー君を結婚させるのが一番いいだろう。それはね――ただエミリアが嬉しく無いと思っただけだ。自分の夫と実の兄が言い逃れできない仲だなんて・・・・・・」
「はぁ?!」
今度こそシエルは本当に紅茶をひっくり返したが、誰も止めなかった。幸いにして熱い紅茶はシエルの足をうまく逸れたので火傷はしなかった。
ヘンリー卿は組んだ足に肘をついて、苛立たしげに人差し指で自分の眉間をたたいている。
「あ、あの――本当なんですか?ク、クラクスーと貴方が「言い逃れのできない」仲って・・・・・・」
「そうだったらいいだろう」
「いいだろうって――それなら一体どういう・・・・・・?」
「片思いだ――あの子が12になった日のことだ」
変態だ!
シエルは耐え難い驚愕の中でそう思った。
「あの――あの、いったい・・・・・・?」
「エミリアに引っ張られて初めてお隣の誕生パーティに呼ばれた日だ。思ってもみなかった、隣にあんなに愛らしい子がいるなんて――」
「もういいです!いいですから!!」シエルは大声で遮る。
彼は目の前の学者が友人をそんな風に見て形容するのを聞くのが嫌だったからだ。
「女性を愛することができないんだ。異性として」
ヘンリー卿はその風貌に似合わず、僅かに切羽詰ったような声を上げた。
一体この青年は本当に妹思いなのか、それとも何処までも自己中心的なのか――救い様のない罪人でも演じているのだろうか?いつもは個人の趣味には余り干渉しないシエルだが、これではあまりに――あまりに過激すぎる。
嫌悪感よりも同情よりも何よりも、自分の親友に降りかかったことに対してただ驚愕するばかりだ。どうしようもなく背筋が粟立った。
さっきまで引き攣っていた笑みはもうそこにはなかった。

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